日本の元祖アイドル明日待子さん死去!女優や日本舞踊で活躍!本名は?

「現代」活躍しているアイドル達の元祖として知られている「明日待子」さんが、2019年
7月14日に「老衰」のためお亡くなりになっていたことが分かり話題になっています。

 

引用元【ツイッター(女性自身【公式】)】

 

葬儀・告別式は既に「近親者」で営んだらしく、詳しい内容は明らかにされておりませんが、
「明日待子」さんは岩手県の「釜石市」出身なので、そちらで営まれた可能性もあると
思われますが、数日経ってからの発表でした。

明日待子さんは幼い頃から親の影響で「芸事」に関心を持っていたようで主に「日本舞踊」を
学んでいたそうです。

当時から「芸事」を志す者の憧れの地が東京で、明日待子さんも将来は上京し女優になることを
夢見ていたそうです。

13歳の時に既に東京で生活していた「姉」の元へ行き、一緒に松竹の蒲田撮影所へと
女優志望で出向いたところ、まだ「小さい」との理由で断られたそうです。

その後、誰の誘いなのか?は分かりませんが新宿にあった劇団「ムーラン・ルージュ」へと
誘いのまま入団したそうです。

劇団「ムーラン・ルージュ」は当時、学生達が主なお客だったらしく若かった明日待子さんが
舞台で活動するようになると直ぐにファンが増え初め、「アイドル」的人気を博すように
なったそうです。

劇団「ムーラン・ルージュ」は「新宿区」にあった劇場のため、近辺の学生達が多く集まり
たくさんの「男子学生」から支持されていたのでしょう。

明日待子さんが「アイドル」的人気を博すようになってからは劇場の設立者で「劇場主」でも
あった「佐々木千里」氏の自宅へ「いそうろう」してたようです。

人気を博するようになり劇団の「稼ぎ頭(看板女優)」として大切に育てられていたのでしょう。

劇場での人気はドンドン拡大し知名度が広がると、各社からのオファーが殺到し「CMガール」
「ポスターガール」などの仕事も増え始め人気はさらに加速していったそうです。


引用元【サイト(NAVERまとめ)】

 

 

その後、名実共に全国区になるとアイドル明日待子さんの人気は留まることなく広まり、当時の
日本を一世風靡したそうです。

それと同時に劇団「ムーラン・ルージュ」への仕事も殺到するようになったそうです。

ただ当時は「アイドル」の名称もなく、ライバルも少なかったこともあり明日待子さんへの
人気が集中したことで人気に拍車がかかり、他にアイドル的存在の女性芸能人がいなかった
ことから今で言う「アイドル」的人気を博した女優でした。

当時は「満州戦争」真っ最中でしたが現地に赴く兵士達は覚悟を決めるためか?最後に人気
絶頂アイドルを観るために劇団「ムーラン・ルージュ」へ足を運ぶ兵士が多くいたそうです。

そんな兵士一人一人と国民的超人気女優「明日待子」さんは握手し、兵士達を労って
いたそうです。

なので今では、女性アイドルの「元祖」を考えた時に「明日待子」さんの名前が浮上し、
伝えられるようになっています。

昭和に入り北海道にあった興行会社の「御曹司」と結婚したらしく、その後はアイドルからの
「一線を退き」公の舞台から姿を消して、日本舞踊家の師範を務めたりしながら北海道に
活動の拠点を移していたそうです。

平成の2011年に新宿にある「映画館」で自身の出身劇団でもある「ムーランルージュ」の
生誕80周年を記念して作られたドキュメンタリー映画の「舞台挨拶」に出向き、約60年の
歴史を振り返るかのように、久しぶりに「公の場」で姿を披露したそうです。

その後、明日待子さんを「元祖日本のアイドル」として扱ったテレビ番組が登場し、今まで
明日待子さんの存在を知らなかったアイドルファンやヲタク達から注目が集まっていました。

特にTBS系列で放送されている情報バラエティー番組「爆報!THEフライデー」で元祖
日本のアイドルとして紹介されたり、日本テレビ系列で2019年に放送された
トークバラエティー番組「1周回って知らない話 平成のアイドルアナ&指原莉乃&おニャン子
解散の裏事情SP」で演劇研究者の「笹山敬輔」氏が登場し以下の用に話していました。

幻の近代アイドル史「明治・大正・昭和」の大衆芸能盛衰記の表紙を飾る明日待子は「昭和初期にムーランルージュ新宿座でデビューした女優さんで非常に可愛くてあどけなかった事から若い学生のファンが沢山いて彼女目当てに通い詰める。今のAKB48の原型のような存在で「アイドル第1号」と言える

演劇研究者の「笹山敬輔」氏が認めている日本アイドルの「元祖」は明日待子さんであることを
語っていました。

 

また、いかに当時「明日待子」フィーバーが学生達から起こっていたかを「熱弁」でお話に
なられていたし、AKBと比較する位なので相当な人気であったことが伝わりました。

日本の元祖「アイドル」としてご活躍になられた明日待子さんでしたが2019年7月14日に
「老衰」のためお亡くなりになられました。

どうぞご冥福をお祈り申し上げます。

 

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◇ 明日待子さんの本名とは?

 

明日待子の本名は「須貝 とし子(すがい)」さんです。

出身地が岩手県「釜石市」なのですが、現在では「須貝」の苗字は「山形県~新潟県」に
多くみられるようで、岩手県は少ないほうです。

しかし日本国全体で見ると「東北地方」に多く集まっており、関西地区~で見かけることは
ほぼ皆無のようです。

芸名の「明日」を使われた経緯などは分かっていませんが、現在「明日」の苗字は
「山形県と愛媛県」に多く見られるようで全国的に見ると「岩手県」にも多くいるようです。

なので芸名「明日待子」と何か関係があるのかも!知れないですね?

 

 

■ 明日待子プロフィール

本名
須貝 とし子
読み
すがい としこ
生年月日
1920年3月1日
仕事
元女優・日本舞踊家
出身地
岩手県釜石市
所属事務所
元ムーランルージュ新宿座
血液型
—型

 

 

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