アントニオ猪木妻田鶴子さん死去!コーラルゼット副社長?歴代妻たち?

「燃える闘魂」でお馴染みの元プロレスラーで国会議員であった「アントニオ猪木」氏の妻
「田鶴子」さんが2019年8月27日の未明にお亡くなりになられました。

 

引用元【ツイッター(アントニオ猪木)】

 

情報元は「アントニオ猪木」氏自らが管理している「公式ツイッター」での発表によるもので
お亡くなりになられた詳細については一切分かっておりません。

また「故人の遺志」との事で今後の葬儀・告別式等は「家族葬」で営むとの事です。

尚「弔問・香典・供花」等はご辞退頂くよう願い出ております。

田鶴子さんはアントニオ猪木氏の「4人目」の奥様で、主にアントニオ猪木の「マネジメント」
業務を扱っている会社「コーラルゼット社」の副社長として在任しておりました。

この会社は主に「アントニオ猪木」氏のマネジメント業務を取り扱っている他にスポーツ選手や
タレント人のマネジメント業務にも参入しており「商標権や著作権」の管理、「意匠権等の
取得」、「使用許諾及び管理業務」なども手がけ幅広いニーズにあった業務を担当する会社で
あったそうです。

田鶴子さんはアントニオ猪木氏と「16歳」も離れた「年下女房」で生前はアントニオ猪木氏の
身の回りの世話や管理業務、以前国会議員で活動していた時にはアントニオ猪木氏と交流が
深かった「北朝鮮」へも動向したことがあるそうです。

結婚したのは2017年頃だったそうで、約2年の短い結婚生活で自身が本職としていた
「カメラマン」の仕事に終止符を打ったようです。

カメラマンになった経緯としては、大学時代に「写真」を学んでいたそうで、ご卒業後には
民放のテレビ局関連会社に入社し「カメラマン」としてご活躍されていたそうです。

アントニオ猪木氏との出会いは1990年、まだプロレスラー人生「現役」バリバリだった頃に
彼からの誘いで「専属カメラマン」の依頼を引き受け、2001年にアントニオ猪木氏の
「写真集」を出版しました。

 

 

「若かりし」アントニオ猪木氏のお姿が多数掲載されております。

どのくらい出版され、どのくらいの売り上げがあったのかは定かではありませんが、
アントニオ猪木氏の「闘魂ぶり」が一番映し出されている!として当時話題になっていた
記憶があります。

その後2007年(平成19年)3月にアントニオ猪木氏自らが社長を務めて結成されたプロレス
団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション」の役員に主任した経験もあるそうです。

アントニオ猪木氏がプロレスラー人生から引退をし、さらに2019年6月に行われた
「第25回参議院議員通常選挙」には出馬をせずに、政治界も「引退」をし婦人の
「田鶴子」さんと静かな人生を送っていたと思われていた矢先の「訃報」でした。

田鶴子さんがお亡くなりになられた「原因」は一切明らかにされず、関係者やファン達から
「詳しい内容」が知りたがっているのですが、全く分からず終いの状況です。

ただメディア報道では田鶴子さんは「数か月前から体調を崩し入院をしていた」と伝えられ、
さらに「入院先の病院からアントニオ猪木氏出演のCM「ソフトバンク「ギガ王」のスチール
撮影に出向いていた」との報道があるので「体調不良で入院」していたことは事実のようです。

また生前、関係者に対し「私にもし万が一のことがあり「葬式」とかがあっても猪木の
スケジュールを変更しないで。お仕事に迷惑はかけないでください」との「遺言」を言葉で
伝えていたそうなので「万が一」を実感している事を鑑みると「重い病」を患っていた
可能性も「無きにしも非ず」ですね。

生前は一人で何でも熟し、アントニオ猪木氏ファーストで周りの面倒を見てきた
「田鶴子」さんらしい「最後のお言葉」だったようですね。

生前のご活躍に感謝すると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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◇ アントニオ猪木氏の歴代妻達とは?

 

 

田鶴子さんはアントニオ猪木氏の4番目の奥様として有名でした。

では「歴代妻」達はどのような人物だったのでしょうか?

まず一人目は1964年にアメリカ修行中に出会った「現地の女性リンダ」さんです。

二人の間には「一児」が授かりましたが「リンダ」さんが死去し離婚となったそうです。

そして二人目が日本女優人の中でもスターであった「倍賞美津子」さんとの結婚です。

 

 

当時(1971)一般庶民からは想像もつかない「一億円の結婚式」を挙げると話題になり
連日テレビ番組・報道・新聞を騒がしていたことを今でも鮮明に記憶しております。

しかし1987年に「約16年間」の結婚生活に別れを告げ離婚をします。

その後三人目となる女性と1989年に結婚しましたが「22歳の年下女房」であったことで
性格の不一致や格差のズレが生じたのか?あえなく離婚しました。

そして四番目の妻であったのが「橋本田鶴子」さんでしたが、死因非公開のまま帰らぬ人と
なってしまいました。

なので今後「離婚」するのか?どうか?は分かりませんが、できれば今までのご苦労を
ねぎらって「離婚」はせずに一緒に最後まで人生を全うして頂きたいものですね!

 

 

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漫画家 森永あいさん死去!体調を崩した原因は?山田太郎議員もビックリ?

 

「アイドル的漫画」のタッチが魅力的だった漫画家「森永あい」さんが2019年8月2日に
「体調不良」により亡くなっていたことが同月9日に分かりました。

訃報の一方は、大手漫画出版社「講談社」が発行しているコミック誌「フレンド」の別冊サイト
「別冊フレンド」にて発表されました。

 

引用元【ツイッター(別冊フレンド編集部)】

 

一方後は各メディア、ブログなどで取上げられ広く知れ渡って行きましたが、お亡くなりに
なられた原因「体調を崩して?」とのことに「戸惑うファン」や「正確な原因」を気にする
ネット住民達など多数現れ、その「謎」を追求する「森永あい」さんファンが多くいるようです。

また、何故「7日後」の発表だったのか?と疑問視する方も居るようですが、こちらは全ての
葬儀の「営み」を終えた時点での発表だった!と思うのが一般でしょう?

なので発表もされてはいませんが、今後の「お別れ会」や「偲ぶ会」等は執り行われない
可能性が高いと思われいます。

ご本人が「謎多い漫画家?」だっただけに情報が少なく、ファン達からもある意味本当に
「偲ぶ」ことしかできない!と悔やまれるようなコメントが多数寄せられています。

本当に貴重な漫画家を、また一人失ってしまいました。

「体調を崩した」原因で、季節的に一番考えられるのが「熱中症」でそれを疑う方々が
たくさんいるようですが、私も「熱中症」の可能性が高いと思います。

漫画家は「デスクワーク」ですので室内に居る時間が長く、もし制作途中だったのなら
尚更病気に陥りやすく「熱中症」になるリスクは高いと思います。

また一部の情報では「急死」だった可能性があり「脳梗塞」や「心臓病」が原因では?との
声も伝えられていました。

しかし、情報があまりにも少ないので制作途中なのか?療養中だったのか?自宅なのか?
会社なのか?サッパリ分かりませんので「正確な発表」がなされなければ何も分からず終いと
なってしまいます。

ファンのためにも関係者の方にはもう少し説明して頂きたいものですね!

さらに「謎多い漫画家?」だった為「年齢不詳」の部分もあり、いったい?何歳でお亡くなりに
なられたのか?との声も多数寄せられています。

ツイッターでは↓↓↓

引用元【ツイッター(まなすん)】

 

「38歳」とのコメントがあり、今年が2019年なので1981年生まれとなります。

しかし「森永あい」さんが漫画家としてプロデビューした年代は1993年で「11年目の女神」
を世に送りました。

なので、もし故38歳ならプロデビューを果たした年齢は「12歳」となることから38歳説は
あり得ないと思われいます。

またファンの方からの「ツイッター」情報でもこのようなコメントがあります↓↓↓

引用元【ツイッター(くり)】

 

確かに漫画家としての「才能溢れた子供達」は多く存在しているとは思いますが、今までに
雑誌に連載している漫画家と呼ばれる子供達はいますが、全ては「既存の漫画」に習った
作品ばかり多く視られ「プロ」としての個性的・発想的要素が多い漫画は無いと思います。

なので「天才漫画家」森永あいさんでも「12歳」でのプロデビュー説はあり得ない話です。

一番信憑性のあるコメントとして↓↓↓

引用元【ツイッター(けろりん@No Messiah No Life)】

 

こちらでは「40代以上」と紹介されていますが、一番「妥当な年齢」だと予想されいます。

さらにプロデビュー前にペンネーム「森永グリ子」で同人作家として活動されておりましたが、
その作品の中で1991年に「大学の卒業証書をもらった」と記されていました。

つまり1991年代は21~22歳で、そこから故年齢を見ると49~50歳となります。

また今回の逝去を伝えたメディアを見ると殆どが「早過ぎる訃報」と報じているので、そこから
見ても「50代での早過ぎる逝去」だと予想されます。

いずれにしても人気漫画家が「早過ぎる旅立ち」であることに変わりなく本当に残念な訃報です。

 

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◇ 参議院議員「山田太郎」氏もビックリ?

 

「森永あい」さんの代表作と言えば「山田太郎ものがたり」「極楽青春ホッケー部」「僕と
彼女の×××」などがあります。

 

 

特に「山田太郎ものがたり」は大手出版社「角川書店」の月刊誌「Asuka」に連載され、さらに
その人気から「コミック本」となって全15巻+番外編1巻、出版されました。

また2007年にはTBS系列の番組で「ドラマ化」され、出演にジャニーズの「二宮和也」氏
「櫻井翔」の超人気アイドルを抜擢し人気に拍車をかけていました。

 

 

またその人気は海外(台湾)にも波及し、海外用にドラマ化され放送されていたそうです。

そこまでは輝かしい「経歴」でよくある話なのですが、なぜ参議院議員の「山田太郎」代議士の
名前が出来てたのか?というと・・・

実は山田太郎代議士は大の「漫画が好きのヲタク」として有名で、この度の訃報にコメントを
出しております↓↓↓

引用元【ツイッター(山田太郎 ?(参議院議員・全国比例)3日目西し35)】

 

つまり漫画の原作「山田太郎ものがたり」の題名と自身の名が「同じ」であることを強調し、
「ヲタク政治化」としてファンの皆さんと一緒に追悼したのでしょう?

但し、ご本人の思いとは裏腹に本家のファン達からは↓↓↓

 

 

 

結構「手厳しい」コメントも多数寄せられているようです。

やはり「票集め」のための「人気取り」は、いずれ自身の「命取り」になるのかも?ですね!

 

 

■ 森永あいプロフィール

本名
森永あい
読み
もりなが あい
生年月日
19??年4月28日
仕事
元漫画家
出身地
岡山県
所属事務所
血液型
O型

 

 

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日本の元祖アイドル明日待子さん死去!女優や日本舞踊で活躍!本名は?

「現代」活躍しているアイドル達の元祖として知られている「明日待子」さんが、2019年
7月14日に「老衰」のためお亡くなりになっていたことが分かり話題になっています。

 

引用元【ツイッター(女性自身【公式】)】

 

葬儀・告別式は既に「近親者」で営んだらしく、詳しい内容は明らかにされておりませんが、
「明日待子」さんは岩手県の「釜石市」出身なので、そちらで営まれた可能性もあると
思われますが、数日経ってからの発表でした。

明日待子さんは幼い頃から親の影響で「芸事」に関心を持っていたようで主に「日本舞踊」を
学んでいたそうです。

当時から「芸事」を志す者の憧れの地が東京で、明日待子さんも将来は上京し女優になることを
夢見ていたそうです。

13歳の時に既に東京で生活していた「姉」の元へ行き、一緒に松竹の蒲田撮影所へと
女優志望で出向いたところ、まだ「小さい」との理由で断られたそうです。

その後、誰の誘いなのか?は分かりませんが新宿にあった劇団「ムーラン・ルージュ」へと
誘いのまま入団したそうです。

劇団「ムーラン・ルージュ」は当時、学生達が主なお客だったらしく若かった明日待子さんが
舞台で活動するようになると直ぐにファンが増え初め、「アイドル」的人気を博すように
なったそうです。

劇団「ムーラン・ルージュ」は「新宿区」にあった劇場のため、近辺の学生達が多く集まり
たくさんの「男子学生」から支持されていたのでしょう。

明日待子さんが「アイドル」的人気を博すようになってからは劇場の設立者で「劇場主」でも
あった「佐々木千里」氏の自宅へ「いそうろう」してたようです。

人気を博するようになり劇団の「稼ぎ頭(看板女優)」として大切に育てられていたのでしょう。

劇場での人気はドンドン拡大し知名度が広がると、各社からのオファーが殺到し「CMガール」
「ポスターガール」などの仕事も増え始め人気はさらに加速していったそうです。


引用元【サイト(NAVERまとめ)】

 

 

その後、名実共に全国区になるとアイドル明日待子さんの人気は留まることなく広まり、当時の
日本を一世風靡したそうです。

それと同時に劇団「ムーラン・ルージュ」への仕事も殺到するようになったそうです。

ただ当時は「アイドル」の名称もなく、ライバルも少なかったこともあり明日待子さんへの
人気が集中したことで人気に拍車がかかり、他にアイドル的存在の女性芸能人がいなかった
ことから今で言う「アイドル」的人気を博した女優でした。

当時は「満州戦争」真っ最中でしたが現地に赴く兵士達は覚悟を決めるためか?最後に人気
絶頂アイドルを観るために劇団「ムーラン・ルージュ」へ足を運ぶ兵士が多くいたそうです。

そんな兵士一人一人と国民的超人気女優「明日待子」さんは握手し、兵士達を労って
いたそうです。

なので今では、女性アイドルの「元祖」を考えた時に「明日待子」さんの名前が浮上し、
伝えられるようになっています。

昭和に入り北海道にあった興行会社の「御曹司」と結婚したらしく、その後はアイドルからの
「一線を退き」公の舞台から姿を消して、日本舞踊家の師範を務めたりしながら北海道に
活動の拠点を移していたそうです。

平成の2011年に新宿にある「映画館」で自身の出身劇団でもある「ムーランルージュ」の
生誕80周年を記念して作られたドキュメンタリー映画の「舞台挨拶」に出向き、約60年の
歴史を振り返るかのように、久しぶりに「公の場」で姿を披露したそうです。

その後、明日待子さんを「元祖日本のアイドル」として扱ったテレビ番組が登場し、今まで
明日待子さんの存在を知らなかったアイドルファンやヲタク達から注目が集まっていました。

特にTBS系列で放送されている情報バラエティー番組「爆報!THEフライデー」で元祖
日本のアイドルとして紹介されたり、日本テレビ系列で2019年に放送された
トークバラエティー番組「1周回って知らない話 平成のアイドルアナ&指原莉乃&おニャン子
解散の裏事情SP」で演劇研究者の「笹山敬輔」氏が登場し以下の用に話していました。

幻の近代アイドル史「明治・大正・昭和」の大衆芸能盛衰記の表紙を飾る明日待子は「昭和初期にムーランルージュ新宿座でデビューした女優さんで非常に可愛くてあどけなかった事から若い学生のファンが沢山いて彼女目当てに通い詰める。今のAKB48の原型のような存在で「アイドル第1号」と言える

演劇研究者の「笹山敬輔」氏が認めている日本アイドルの「元祖」は明日待子さんであることを
語っていました。

 

また、いかに当時「明日待子」フィーバーが学生達から起こっていたかを「熱弁」でお話に
なられていたし、AKBと比較する位なので相当な人気であったことが伝わりました。

日本の元祖「アイドル」としてご活躍になられた明日待子さんでしたが2019年7月14日に
「老衰」のためお亡くなりになられました。

どうぞご冥福をお祈り申し上げます。

 

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◇ 明日待子さんの本名とは?

 

明日待子の本名は「須貝 とし子(すがい)」さんです。

出身地が岩手県「釜石市」なのですが、現在では「須貝」の苗字は「山形県~新潟県」に
多くみられるようで、岩手県は少ないほうです。

しかし日本国全体で見ると「東北地方」に多く集まっており、関西地区~で見かけることは
ほぼ皆無のようです。

芸名の「明日」を使われた経緯などは分かっていませんが、現在「明日」の苗字は
「山形県と愛媛県」に多く見られるようで全国的に見ると「岩手県」にも多くいるようです。

なので芸名「明日待子」と何か関係があるのかも!知れないですね?

 

 

■ 明日待子プロフィール

本名
須貝 とし子
読み
すがい としこ
生年月日
1920年3月1日
仕事
元女優・日本舞踊家
出身地
岩手県釜石市
所属事務所
元ムーランルージュ新宿座
血液型
—型

 

 

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