俳優ピーター・フォンダ氏死去!娘ブリジットも追悼!サングラスは何?

アメリカ名俳優でダンディー的存在だった「ピーター・フォンダ」氏が2019年8月16日に
ロサンゼルスの自宅で死去されていたことが分かり話題になっています。

享年79歳でした。


引用元【サイト(Wikipedia)】

 

詳しい死因などは明らかにされていませんが、以前から病気・療養中などの情報が無かったので
老死である可能性が高いと思われます。

ただ79歳でのお亡くなりで、早過ぎる旅立ちに悲しむファン達で溢れているそうです。

ピーター・フォンダ氏は1940年生まれで、両親(父親)は俳優ヘンリー・フォンダ、姉が
女優ジェーン・フォンダ、アメリカきっての「俳優一家」の一員でした。

さらに娘のブリジット・フォンダも俳優一家の後を引き「女優」として活躍しています。

ピーター・フォンダ氏は早くに母親を亡くし「親一人」で育てられ、姉のジェーン・フォンダと
共に暮らしていたそうです。

学生時代から「演劇」に興味があったらしく大学卒業後はアメリカ・ミュージカルの
代名詞でもある「ブロードウェイ」を目指していたそうです。

その後、念願であった「ブロードウェイ」に進出し、本格的に俳優業に専念していた頃の
1963年に自身初となる映画「タミーとドクター」で俳優デビューを飾りました。

しかし自ら考える俳優としての考えと「興行元」の映画に対する取り組みとに「ズレ」があり
精神的苦痛が続いていた最中、姉の影響もあってドラッグに手を出し始めたそうです。

俳優人としての先行きに不安を抱え麻薬塗れになっている時「血のバケツ」や「フランケン
シュタイン」等のB級映画(オカルト映画)作品で有名だった「ロジャー・コーマン」監督の
目に止まり、1966年作「ザ・ワイルド・エンジェルス」に主演として抜擢されました。

この映画は当時、社会問題でもあったヘルズ・エンジェルス(暴走族)を描た作品で「鉤十字」を
身につけた地獄の天使達が社会の体制へ逆行する「若者達」を表現し、当時反体制を望んでいた
若者達から熱狂的に支持された映画でした。

なので公開時の人気は低かったものの、次第に全米中の若者に支持され当時では珍しい
「ロードバイク」の映画として知名度が広がり大ヒットへとつながって行きました。

B級作品を「お手の物」としていたロジャーコーマン監督にとって低予算での作品にも関わらず
全米で大ヒットを得たことは、監督自身の映画作りの参考になったこと間違いないでしょう!

実際、その後の作品でも「予算」が少ない映画なのにたくさんのヒット作を世に送っています。

その後、ピーター・フォンダ氏はアメリカ俳優で映画プロデューサーでもあった「デニス・
ホッパー」氏と出会い、共に「バイク映画」に出演していたことから意気投合するようになって
二人で手がけた映画「イージー・ライダー」を世に送りました。

 

 

映画内では大型バイク「ハーレーダビッドソン」をメインに若者達が自由に「旅」する様子を
描いた作品で、一見「単なるバイクで旅する映画?」と思われがちですが、当時の若者が
求めていた社会に対する反発「自由・解放」を旅を通じて届けた作品で、特に若者を中心に
広く支持され「ピーター・フォンダ」氏の代表作の一つとされていました。

また作品内の「音楽構成」は主に「ロックミュージック」で、大型バイク「ハーレーダビット
ソン」に跨って広い荒野を旅する様子でテンポ良いバックミュージックで自由な姿を見ていると
まるで「音楽映画」のようにも思える作品だと感じられます。

この作品は当時「アメリカン・ニューシネマ」とも呼ばれ、映画を通じて若者達が全世界の
「体制」に抵抗する作品の「前進的存在」でした。

当時ではあまりにも衝撃的な作品であった為、映画関係者からの評価も様々で当時(1969年)の
アカデミー賞では「助演男優賞」と「脚本賞」にノミネートとはされました。

しかし元から「反体制的要素」が強かった為、長続きはせず「ピーター・フォンダ」氏の
知名度も低迷し「ニューシネマ」時代にあった作品も登場することなく静かに消え去って
行きます。

その後しばらくは「映画界」では低迷期を迎え、作品に出演はするものの俳優としての主演は
ほぼ無くなり、監督業などの「制作側」に回り活動を行っていたようです。

ちなみに1983年には日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」に出演し、「ゴンジー・
トロイメライ」役を演じておりました。

なので日本でも「イージー☆ライダー」は1970年に公開され「ピーター・フォンダ」の名を
知っていた映画ファンがたくさんいたので「だいじょうぶマイ・フレンド」への出演が
発表された時には日本映画ファンから大きな注目を浴びていたことを今でも記憶しております。

その後もアメリカ俳優人として活動する中、1997年に公開された映画「木洩れ日の中で」に
「ユーリー・ジャクソン」役として主演し、「家族の絆」を描いた作品で見事、第55回
ゴールデングローブ賞主演男優賞を獲得、さらに第70回アカデミー賞主演男優賞候補などの
多数の映画作品賞候補者となって行きます。

その頃には既に、全世界に知名度も広まっておりアメリカ映画俳優としての地位も確立し、
「名俳優」として名を馳せ、さらにたくさんの作品に出演し活動を行っておりました。

しかし2019年8月に惜しまれつつも享年79歳でこの世を後に去られました。

 

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◇ ピーター・フォンダ氏の愛用サングラスとは?

 

アメリカきっての名俳優「ピーター・フォンダ」氏として米映画界で活躍されておりましたが、
その特徴的アイテムとして有名な物に「サングラス」があります。

特に映画「イージー・ライダー」に出演していた時に愛用していた「サングラス」に日本でも
注目されたことがあり、日本の眼鏡ファッションブランドの「Toys McCoy」からワイアット
グラスの「スペシャルエディション」として発売されたものが「イージー・ライダー」で
愛用されていたものと同等な物として有名でした。


引用元【ブログ(メガネ屋だってば!)】

 


引用元【ブログ(メガネ屋だってば!)】

 

 

■ ピーター・フォンダプロフィール

本名
ピーター・フォンダ
読み
Peter Fonda
生年月日
1940年2月23日
仕事
アメリカ俳優
出身地
アメリカ合衆国ニューヨーク州
所属事務所
血液型
O型

 

 

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宝塚元演出家の柴田侑宏氏死去!麻里さんも悲しむ!劇団員の悲み声?

元宝塚歌劇団の理事長を勤め、数々の舞台作品の演出を手がけた名演出家の「柴田侑宏氏が
2019年7月19日にお亡くなりになったことが分かり話題になりました。


引用元【サイト(NAVERまとめ)】

 

お亡くなりになった理由は「遺族の意向」とのことで明らかにされていませんが、「お通夜は
同年月21日の夕方から行われ、告別式は22日のAM11時30分から兵庫県西宮市高畑
エテルノ西宮で営まれると発表されております。

喪主は奥様の「英子(ひでこ)」が行うそうで、宝塚歌劇団のOB・OG、さらに関係者など
多数の方の「弔問」が予想されるので当日は相当混むと思われいます。

最近の柴田侑宏氏と言えば2014年4月に宝塚歌劇団創立100周年に行われた記念イベント
「宝塚歌劇の殿堂」で劇団の発展に貢献・寄与したスタッフとして選ばれたことが私の中で
記憶に新しいところです。

享年は87さいでした・・・えっ!87歳にもなっていたのですね。

最近テレビでお拝見した時は若々しくて「素敵なお爺さん」的に思っていたので「87歳」に
なっておられたとは思ってもいませんでした。

宝塚歌劇団では長きに渡って素敵な舞台の演出をなされ数々のヒロイン(名役者)を育て上げて
おられました。

宝塚新劇場公演での演出デビューは1961年「河童とあまっこ」らしく、1975年には
「フィレンツェに燃える」芸術選奨文部大臣新人賞を受賞されておられたそうです。

私はこの時代にはまだ生まれておらなかったので先生が手がけた昔の作品は分かりませんが、
先生がお亡くなりになられた情報と共に各メディアでたくさんの「名作品」を紹介しながら
宝塚歌劇団に多大なる「ご尽力」をなされたことを伝えております。

ただまだ記憶に新しいところで1997年に「菊田一夫演劇賞特別賞」を受賞さなれ宝塚への
「ご尽力」が認められた「証を得られた」ことに私も喜んでおりました。

私が柴田侑宏先生を初めて見た時はお体の調子が悪かったのか?同席に「看護師」のような方が
ご一緒されており、痛々しいお姿を見たことで逆に印象深かったので今でも思えているのですが
それでも「演出家」として頑張っている姿を見みて「凄い方だな~」と感心させられました。

若い頃には「タカラジェンヌ」とは言え臆することなく「ガンガン」叱ってご指導されて
居たのでしょうか?

今となっては先生に感謝する生徒がたくさんいますが、それだけ素晴らしい作品を手がけられ
愛のあるご指導で「タカラジェンヌ」を育てて頂いたのでしょうね!

私が感じる柴田侑宏先生が手がける作品は「内容が濃く」芝居に対する「真面目」さが
伝わってくる演出が多く、先輩の「植田紳爾」先生が手がけた演出とはまるで違う「表現力」を
感じていたことを思い出します。

もちろん「再演」での劇を拝見したので、100%の柴田侑宏演出作ではなかったのかも
知れませんが、それでも「誠実な演技」的な事を心で感じておりました。

また元雪組のトップスター「杜けあき」さんが退団する際「サヨナラ公演」の演目に選んだのが
「忠臣蔵」で、主人公の演出を行う姿を某N〇K局の番組で拝見した時には、かなりの迫力で
ご指導されておられたので「スパルタ系」の先生では?と疑ったくらいです。

でもそれは「杜けあき」さんの最後の公演を成功させてあげたい!の気持ちからであったことは
誰もが理解していたことでした。

私の中ではそんな思い出でのある柴田侑宏先生でした。

そういえば以前、「杜けあき」さんとのご一緒のお写真で娘(麻里)さんも映って
おりましたね!

この時のお写真が「杜けあき」さん&娘さんとの最後スリーショットとなったのでしょうか?
だとしたら貴重な一枚ですね。

 

引用元【インスタグラム(keakigugu)】

 

今回の訃報で娘さんの「麻里」さんも嘸かし悲しんでおられる事でしょうね?

現在「麻里」さんが何をなされているのか?は分かりませんが、劇団に一緒に居るところを
見ると「宝塚」に興味があるか?あるいは父の背中を追って?「演出家」としてご活躍されて
いるのでしょうか?

「演出家」をなされているのなら尚更、偉大な御父上をお失いになら悲しみと無念さで
いっぱいなことでしょうね!

今後しばらくはお忙しい「営み」が続くとは思いますが喪主のお母様とご一緒に先生が
「お心残り」無いよう旅立たれるようにお導きの程、宜しくお願い致します。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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◇ 宝塚劇団員の皆様のコメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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◇ 数々の思いで名作品

 

柴田侑宏先生が今まで手がけられた名作品の一部をご紹介します。

※ご紹介が目的なので「触れなくて」結構です。

 

◇ 凱旋門

 

◇ 黒豹の如く

 

◇ 琥珀色の雨にぬれてく

 

◇ 仮面のロマネスク(菊田一夫演劇賞特別賞)

 

◇ うたかたの恋

 

◇ 新源氏物語

 

◇ バレンシアの熱い花

 

◇ 哀しみのコルドバ

 

 

 

■ 柴田侑宏プロフィール

本名
柴田侑宏
読み
しばた ゆきひろ
生年月日
1932年1月25日
仕事
劇作家
出身地
大阪府大阪市
所属事務所
元宝塚歌劇団専属
血液型
—型

 

 

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