
日本演歌界の大御所「山本譲二」氏が都内で行われた自身、デビュー45周年を記念した楽曲
「人は旅人」の発売記念イベントが開催された際、今年(2019)の5月に急激な「腹痛」で
婦人「悦子」さんの運転する車で都内の緊急病院へ駆け込んだ際「腸閉塞」と「大腸がん」が
見つかり、その日の内に「腸閉塞」の緊急手術を受け、後に大腸がんの手術も行ったそうです。
また併せて、手術は術式「腹腔鏡」で行った事と癌の進行を表すステージは「2a」であった事
さらに切断した大腸は約20cmでその内7cmが患部だったことも話していました。
引用元【サイト(NAVERまとめ)】
病院へ運ばれたのは同年5月22日未明で「急激な腹痛」のため病院へ出向いたそうです。
たぶんこの時の腹部の激痛は「腸閉塞」が原因であることは間違いなく、それを誘発したのが
大腸がんだったと推測されます。
詳しく発表されていないので正確なことは分かりませんが「大腸がん」じたいでは急激な
激痛は起こらないはずで、もしかしたら癌の「腫瘍」が腸管を塞いだことで大きな痛みが
起こった可能性があります。
なので腹痛を抑えるために、病院へ運ばれた当日に早期の手術を行ったのでしょう。
「腹腔鏡」による大腸がん手術は後の8日後(30日)に行ったそうです。
山本譲二氏は以前、2009年7月に「右耳内部に腫瘍」が見つかり「顔面麻痺」が起こる
可能性がありながらも腫瘍摘出手術を受けていました。
つまり「腫瘍」ができやすい「体質」てことですね!
なのでこの度見つかった「癌」で、ご家族やご両親がさぞかしご心配されたと思われますが、
大腸がんはステージ「2a」の早期で見つかり、さらに退院後の経過も良好で、リンパ節や
内臓等への「転移」が見つからず「抗がん剤」治療の必要がないと医師から伝えられ、
一先ず安心されたそうです。
自身も今回発表したコメントの中で「90際過ぎ」の母親に病気のことを伝えるか?
悩んだそうですが、担当医師から転移が無い事を伝えられ、さらに自身も良好なことから
母親に病気のことを伝え詳しく説明をされたそうですが、病気の事が理解できなかったらしく
後から知られることもなかろうと今回のイベントで病気の経緯を発表することにしたそうです。
山本譲二氏は親に心配かけないように配慮した事を聞くと、とても「両親思い」の方で
あることが良く分かりますね!
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山本譲二氏は1987年2月に現嫁「悦子」さんとご結婚されておられいます。
当時、嫁悦子さんは「新人女優」として芸能界を駆け巡っており、一方の山本譲二氏は売れない
「三流」演歌歌手であり誰から注目されることもなく、恩師の「北島三郎」氏から叱れる日々を
過ごしていたそうです。
しかし「北島三郎」氏から「これが最後の曲で売れなかったら歌手を諦めろ!」として
渡されたのが、後に大ヒットした「みちのくひとり旅」でした。
当時から山本譲二氏を陰で支えていた嫁「悦子」さんも相当喜ばれた・・・いや安堵した方が
大きかった事でしょうね!
この楽曲一曲だけで「日本レコード大賞」を受賞し、さらにNHKの紅白歌合戦へも初出場を
果たしました。
販売枚数のトータルも約130万以上をセールスし「ミリオンヒット」を記録したそうです。
名実共に全国区になった山本譲二氏はその後「時代劇」に出演するようになると、俳優業が
見事に的中し「暴れん坊将軍」を機に数々のドラマ・バラエティー番組に出演するようになって
老若男女問わず幅広い世代から人気を博していました。
ただそこまで辿り着くためには嫁の「悦子」さんのご苦労は相当なものだったと思われるし、
それだけが原因とは限りませんが2010年8月に行った「定期健診」で「乳がん」が
見つかりました。
発見された腫瘍は2cmあまりで進行を示すステージは1~2、除去手術が可能と判断され
3時間に及ぶ手術の結果、リンパ節を切除し10日後に退院したそうです。
ただ治療中も夫「山本譲二」氏の事を思い、自分の病気よりも先に仕事を優先するように
伝えていたそうです。
ご自身が「精神的」に落ち込み、辛い気落ちで苦しんでいる中で、この発言ができる悦子さんは
相当気持ちの「強い女性」で、夫「山本譲二」氏に対する「愛」が大きいことを物語っていると
思います。
退院後は、胸に「リンパ液」が溜まる症状が起こるため定期的に通院し「液」を吸い出して
いたそうです。
- ■ 山本譲二プロフィール
- 本名
- 山本譲二
- 読み
- やまもと じょうじ
- 生年月日
- 1950年2月1日
- 仕事
- 男性演歌歌手
- 出身地
- 山口県下関市
- 所属事務所
- 北島音楽事務所
- 血液型
- Å型
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