名倉潤 体調不良はうつ秒だった!しゃべくりも休養?家庭内ルールが原因?

 

お笑いトリオ「ネプチューン」でリーダーを担当している「名倉潤」氏が軽い「うつ病」のため
しばらく休養入りすることが分かりました。

休養期間の予定は「二か月」とされており、主に「うつ病」に対する「リハビリ治療」を
病院で受けるそうです。

 

引用元【インスタグラム(nagrat1968)】

 

そのため、2019年7月末日までに収録されたテレビ番組迄で芸能活動を休止し、その後の
テレビ生出演・収録・その他の活動は一切行わないそうです。

特に毎週放送されている日本テレビ系列のバラエティー番組「しゃべくり007」への
影響が大きく、毎週楽しみにしているファン(私含む)にとっては痛いお休みです。

しばらくの間は「しゃべくり006」になるのでしょう!

ご本人は今回の休養について↓↓↓

少しの間休養させて頂きます。体調を回復させて戻って参りますので、よろしくお願い致します

 

早く体調を戻し早急に「現場復帰」することを望んでいるようです。

名倉潤氏は昨年(2018年)6月末に突如「椎間板ヘルニア」の手術を受けることを発表し
約二週間程度休養の後、芸能界へ復帰していました。

その手術じたいは成功し、その後の体調も順調に回復し以前と変わらずバラエティー番組などで
元気な姿を見せてはいたものの、どうも「慣れぬ入院」や自身初の「手術」を受けたことに
対する「ストレス」を大きく受けた為、軽い「うつ病」を併発してしまったようです。

元々名倉潤氏はテレビで見ている限り「神経質」な性格の持ち主では?と私は感じて
いたのですが、やはり「ストレス」を「受け易く」溜めがちな性格だったようです。

今回の件についてトリオの二人(原田泰造氏、堀内健氏)は以下のようにコメントを出しています。

この度はご心配、ご迷惑をおかけ致します。潤ちゃんが元気に戻るまで、そして安心してゆっくり出来るように、しばらく2人ネプチューンで頑張ります!番組などの関係者の皆様には、様々な面でお力添え頂く事になりますが、どうぞよろしくお願い致します。

 

昔から「助け合いの大きいトリオ」として知られていた「ネプチューン」ですが、やはり
日本のお笑いトリオ!いや「お笑い界」の中でもメンバー愛の強いお笑い芸人であることが
良く分かりますよね!

まずはゆっくり休んで頂いて、しっかりと治療し一日も早く芸能界「復帰」して頂けるように
願っております。

名倉潤氏は「兵庫県」姫路市ご出身で、地元兵庫県にあります学校を卒業されています。

小中学校は「姫路市内の学校」、高校は兵庫県神崎郡市川町にある「市川高等学校」に通い
ご卒業後は大学へは進まず、俳優の道を歩みだしたそうです。

なので以外にも「俳優志望」だったらしく、今のお笑い界でご活躍している姿からは
想像できませんよね!俳優業に進んだとしても3枚目あたりの役所だったことかな?

調べると1989年に当時大人気であった刑事ものドラマ「あぶない刑事シリーズ」の
「もっとあぶない刑事」に「エキストラ」での出演経歴があるようです。

ただ出演経歴と言っても「エキストラ」のため「セリフ」も無く、更に番組終わりの
エンドロールにも名前が使われず、全く無名の「俳優」でこの番組は終えたようです。

しかしその後、芸能活動の「方向性」を変えたようで1989年に「渡辺勝彦」氏と
「お笑いコンビ(ジュンカッツ)」を組み、バラエティー番組への出演、あるいは同番組の
「前説」などを担当し、若手芸人として下積み時代を送っていたそうです。

その後「渡辺勝彦」氏が芸能を引退したことでコンビを解散し、しばらくは「ピン芸人」での
活動をしていたそうです。

そんな中、当時のお笑いコンビ「フローレンス」で活動していた原田泰造氏と堀内健氏から
「ツッコミ」役での参加を要請され、名倉潤氏もピン芸人では売れていなかったこともあり
1994年に3人トリオ「ネプチューン」を結成し新たな「お笑い活動」をスタートさせました。

その後は人気もあがり知名度も広がって「お笑いトリオ」としてや、個人での活躍もあって
「全国区」となって今に至っております。

 

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◇ うつ病は家庭内ルールが原因?

 

名倉潤氏は2005年4月に昭和を代表するアイドルグループ「おニャン子クラブ」の
メンバーであった、タレントの「渡辺満里奈」さんと誰もが予想していなかった「結婚」を
しました。

 

引用元【インスタグラム(nagrat1968)】

 

昔からの「渡辺満里奈」ファンの一人だった私は、その情報を聞いた時「驚き」や「悲しみ」で
毎日苦しんでいた事を今でも覚えています。

寄りによってなぜお笑い芸人と「結婚」する?と何度も心の中で囁いたものです。

取りあえずそのことは?置いておいて今回、名倉潤氏が「うつ病」を併発した要因には
家庭内での厳しいルールも影響しているように思います。

実は奥様の「渡辺満里奈」さんは日本テレビ系列で放送されている人気バラエティー法律番組
「行列のできる法律相談所」へのご出演経験があり、その時に「朝5時半起きで、皆で朝食を
摂る」という家庭内ルールがあることを暴露していました。

家庭内ルール上、夫の名倉潤もいくら前日の仕事が遅くても必ず決まった時間に起床させられ
家族一緒に食事を摂っていることが明らかにされました。

その「過酷なルール」を毎日強制させられたことも今回の「うつ病」発症につながった
恐れが高いと私は思います。

何故なら、名倉潤氏は元々「神経質」な性格の持ち主でしかも溜めやすい傾向にあるので、
毎日のストレスを相当「溜め続けていた」可能性が高いと予想されます。

「渡辺満里奈」さんの元一ファンであった私として、こんな事を言うのはあれですが?
奥様の身勝手な家庭内ルールがあった為に、仕事の疲れが取れずストレスを溜めやすい環境を
作り続け、大きな病気にならずに済んだことは不幸中の幸いですが、軽傷でもその原因の
要因を作ったのは「奥様にある!」と言っても過言ではないかも?ですね!

なので退院後は過酷な?家庭内ルールを一度考え直し、夫が元気で仕事ができる家庭内ルールに
変えて頂きたいものです。

名倉潤氏はまだ50代で若く、仕事をバリバリ熟せる年代ではありますが一度「うつ病」を
発症してしまった以上、突如何が起こるか分からない体質になったはずですので、しばらくは
旦那の様子を伺いながら、しっかり見守って頂きたところです。

 

■ 名倉潤プロフィール

本名
名倉潤
読み
なぐら じゅん
生年月日
1968年11月4日
仕事
お笑いトリオ
出身地
兵庫県姫路市
所属事務所
ワタナベエンターテインメント
血液型
AB型

 

 

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投稿日: 2019年8月1日 カテゴリー: 名倉潤

山本譲二 新曲発表で腸閉塞&大腸がんで手術!嫁山本悦子は乳がん

 

日本演歌界の大御所「山本譲二」氏が都内で行われた自身、デビュー45周年を記念した楽曲
「人は旅人」の発売記念イベントが開催された際、今年(2019)の5月に急激な「腹痛」で
婦人「悦子」さんの運転する車で都内の緊急病院へ駆け込んだ際「腸閉塞」と「大腸がん」が
見つかり、その日の内に「腸閉塞」の緊急手術を受け、後に大腸がんの手術も行ったそうです。

また併せて、手術は術式「腹腔鏡」で行った事と癌の進行を表すステージは「2a」であった事
さらに切断した大腸は約20cmでその内7cmが患部だったことも話していました。


引用元【サイト(NAVERまとめ)】

 

病院へ運ばれたのは同年5月22日未明で「急激な腹痛」のため病院へ出向いたそうです。

たぶんこの時の腹部の激痛は「腸閉塞」が原因であることは間違いなく、それを誘発したのが
大腸がんだったと推測されます。

詳しく発表されていないので正確なことは分かりませんが「大腸がん」じたいでは急激な
激痛は起こらないはずで、もしかしたら癌の「腫瘍」が腸管を塞いだことで大きな痛みが
起こった可能性があります。

なので腹痛を抑えるために、病院へ運ばれた当日に早期の手術を行ったのでしょう。

「腹腔鏡」による大腸がん手術は後の8日後(30日)に行ったそうです。

山本譲二氏は以前、2009年7月に「右耳内部に腫瘍」が見つかり「顔面麻痺」が起こる
可能性がありながらも腫瘍摘出手術を受けていました。

つまり「腫瘍」ができやすい「体質」てことですね!

なのでこの度見つかった「癌」で、ご家族やご両親がさぞかしご心配されたと思われますが、
大腸がんはステージ「2a」の早期で見つかり、さらに退院後の経過も良好で、リンパ節や
内臓等への「転移」が見つからず「抗がん剤」治療の必要がないと医師から伝えられ、
一先ず安心されたそうです。

自身も今回発表したコメントの中で「90際過ぎ」の母親に病気のことを伝えるか?
悩んだそうですが、担当医師から転移が無い事を伝えられ、さらに自身も良好なことから
母親に病気のことを伝え詳しく説明をされたそうですが、病気の事が理解できなかったらしく
後から知られることもなかろうと今回のイベントで病気の経緯を発表することにしたそうです。

山本譲二氏は親に心配かけないように配慮した事を聞くと、とても「両親思い」の方で
あることが良く分かりますね!

 

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◇ 妻)悦子さんも以前がんで治療?

 

山本譲二氏は1987年2月に現嫁「悦子」さんとご結婚されておられいます。

当時、嫁悦子さんは「新人女優」として芸能界を駆け巡っており、一方の山本譲二氏は売れない
「三流」演歌歌手であり誰から注目されることもなく、恩師の「北島三郎」氏から叱れる日々を
過ごしていたそうです。

しかし「北島三郎」氏から「これが最後の曲で売れなかったら歌手を諦めろ!」として
渡されたのが、後に大ヒットした「みちのくひとり旅」でした。

当時から山本譲二氏を陰で支えていた嫁「悦子」さんも相当喜ばれた・・・いや安堵した方が
大きかった事でしょうね!

この楽曲一曲だけで「日本レコード大賞」を受賞し、さらにNHKの紅白歌合戦へも初出場を
果たしました。

販売枚数のトータルも約130万以上をセールスし「ミリオンヒット」を記録したそうです。

名実共に全国区になった山本譲二氏はその後「時代劇」に出演するようになると、俳優業が
見事に的中し「暴れん坊将軍」を機に数々のドラマ・バラエティー番組に出演するようになって
老若男女問わず幅広い世代から人気を博していました。

ただそこまで辿り着くためには嫁の「悦子」さんのご苦労は相当なものだったと思われるし、
それだけが原因とは限りませんが2010年8月に行った「定期健診」で「乳がん」が
見つかりました。

発見された腫瘍は2cmあまりで進行を示すステージは1~2、除去手術が可能と判断され
3時間に及ぶ手術の結果、リンパ節を切除し10日後に退院したそうです。

ただ治療中も夫「山本譲二」氏の事を思い、自分の病気よりも先に仕事を優先するように
伝えていたそうです。

ご自身が「精神的」に落ち込み、辛い気落ちで苦しんでいる中で、この発言ができる悦子さんは
相当気持ちの「強い女性」で、夫「山本譲二」氏に対する「愛」が大きいことを物語っていると
思います。

退院後は、胸に「リンパ液」が溜まる症状が起こるため定期的に通院し「液」を吸い出して
いたそうです。

 

 

■ 山本譲二プロフィール

本名
山本譲二
読み
やまもと じょうじ
生年月日
1950年2月1日
仕事
男性演歌歌手
出身地
山口県下関市
所属事務所
北島音楽事務所
血液型
Å型

 

 

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絵本作家 谷内こうた氏 脳出血で死去!週刊新潮の表紙絵など担当!画家!

 

「穏やか」で「繊細」なタッチで描く油絵が人気であった画家で絵本作家の「谷内こうた」氏が
2019年7月2日に自宅があるフランスの「ルアーン病院」で「脳出血」のために
お亡くなりになられたことが分かり話題になっています。


引用元【ブログ(秋山雅子の朗読&音楽サロン)】

 

葬儀は妻の富代(とみよ)さんが喪主を務め、告別氏などは同年月12日に「近親者」のみで
営まれたそうです。

享年「71歳」でした。

今後は「お別れ会」や「偲ぶ会」などは執り行われないと伝えられております。

谷内こうた氏は1947年、東京「生まれ」神奈川県川崎市「出身」で絵本作家への道を
選んだのは叔父「谷内六郎」氏の影響が大きかったそうで、学歴は「多摩美術大学油絵科」へと
進んだそうですが途中で「中退」しています。

1971年頃から「画家」としての活動拠点を「ヨーロッパ」に移し、主に「油絵」を
制作していたそうです。

輝かしい功績としては↓↓↓

・1971年に絵本「なつのあさ」でボローニャ国際見童図書展「グラフィック賞」受賞
・1972年、ボローニャ国際展で「エルバ賞」受賞
・1979年に絵本「のらいぬ」でプラチスラバ世界絵本原画展「金のりんご賞」受賞
・1981年に絵本「つきとあそぽう」でプラチスラ世界絵本原画展「金のりんご賞」受賞
・1983年に絵本「かぜのでんしゃ」で講談社出版文化賞「絵本賞」受賞
・1998年に絵本「にちようび」でスイス「エスパースアンファン賞」受賞

 

1992年頃からは今ではお馴染みになった週刊誌「週刊新潮」の表紙絵を担当していました。

1978年には日本に戻り地元「神奈川県秦野市」にしばらく移り住んで「絵本」の制作を
メインに取り組んでいたそうです。

1983年からは、また「フランス」に戻り「油絵」を主体に制作し、画廊や個展を開催し
「油彩」ファンを楽しませていたそうです。

1997年には日本テレビ系列で放送されていた番組「美の世界」で取り上げられていました。

2000年後以降は、東京大手百貨店で「個展」を開催したり、地方のアートギャラリー展を
主催していたそうです。

そして2019年7月に自宅があるフランスの病院で「絵本作家」人生にピリオドを打ち、
「永遠の旅」へと旅立ちました。

 

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◇ 谷内こうた氏の主な作品

 

 

◇ なつの あさ (至光社国際版絵本)

 

◇ ぼくたちの やま (至光社国際版絵本)

 

◇ きょうも天気

 

◇ ほしがながれてクリスマス (至光社国際版絵本)

 

◇ とおいとおいおか (国際版絵本)

 

◇ にちようび (至光社国際版絵本)

 

◇ もりの おんがく (講談社の創作絵本)

 

◇ ぼくとマリオネット (至光社国際版絵本)

 

◇ どんなみち (国際版絵本)

 

◇ のらいぬ (至光社国際版絵本)

 

◇ つきとあそぼう (至光社国際版絵本)

 

◇ あのおとなんだ (至光社ブッククラブ 国際版絵本)

 

◇ きみはなぜ生きているのか?

 

◇ まるごと ちひろ美術館 (まるごとシリーズ)

 

 

 

■ 谷内こうたプロフィール

本名
谷内 鋼太
読み
たにうち こうた
生年月日
1974年
仕事
元画家、絵本作家
出身地
神奈川県川崎市
所属事務所
—.
血液型
—型

 

 

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三遊亭円楽笑点司会を奪えず脳腫瘍で入院!肺がんとの関連? 学歴は?

 

日本落語会の「腹黒王?」として有名な「三遊亭円楽」師匠が体調不良を訴え、周りの説得と
自身の症状から病院で出向き検査したところ、脳に「腫瘍」を発症していることが分かり、
しばらくの間「検査・治療・療養」を行うため「全仕事」をキャンセルし「休養」に入ることを
所属事務所の公式サイトで発表し話題になっています。

 

引用元【ツイッター(素敵なおじさん)】

 

所属事務所のコメントによると、治療期間は約三週間で「三遊亭円楽」師匠の容態は今のところ
「日常生活」に支障をきたすほど悪くは無く、いつも通りの生活をしているようです。

そのため早期発見できた事と、本人は至って「普通」な状態であることから前向きに治療に
取り組み、一日も早く復帰できるよう努めるそうです。

今後の予定としては、とりあえず8月上旬まで休養し主治医の判断と本人の体調を見ながら
仕事の復帰時期を検討・判断するとの事です。

また今回の「病気発覚」によって仕事を余儀なく「キャンセル」する事となった関係者・
スポンサー、さらにファンのお客様への「謝罪」コメントも記されています。

なので「腫瘍」が良性か悪性かも分からず、さらに正式な「病名」も分かっていないので
「体調を見ながら仕事の復帰時期を検討する」とありますが、場合によっては二週間の入院で
収まる話ではないようです。

三遊亭円楽師匠と言えば「笑点の紫色オジサン」あるいは「楽さん」の愛称で昔からお茶の間で
「親しまれている」落語家さんの一人ですよね!

ネタとしては、故)歌丸師匠との口喧嘩!あるいは「腹黒い発言」、さらに座布団運び一筋の
「山田君」とのやり取りなどで、若手に負けずに笑点の「大喜利」を盛り上げています。

一方で、たまに見せる「政治・経済」にまつわる「社会情勢」ネタで真面目な姿を見せたりと
「ギャップ」が激しい一面を見せることで観衆の笑いを誘っています。

笑点では「古株のベテラン」域に達しており年齢も69歳(2019年)、さらに円楽一門でも
たくさんの「弟子」を持ち、落語界での「重鎮」と呼ばれて相応しい人物だと私は思います。

ただ2016年に起こした「不倫騒動」では、流石に落語ファンやお茶の間から「ドン引き」
されてしまい、落語家のイメージを損ねてしまったことが記憶に新しいところです。

当時は「落語家」=「不倫」と言う方程式は私の中になかったものですから、あまりにも
衝撃的な事件として心に残り今後の円楽一門の存続危機になるかも?と心配したくらいです。

しかし三遊亭円楽師匠の思い切った「謝罪」と隠さず「真実」を語ったことで巷の空気が
一変し、逆に「一時の過ち」に共感する人が出始め、さらにマスコミの取材に丁寧に
対応したことで「神対応」として話題なり、ある意味で「落語家」のイメージを良くして
いたことを懐かしく覚えています。

またその後に出演した笑点の大喜利では、司会の「春風亭昇太」氏から「不倫の罰」として
座布団をすべて没収され、お茶の間や会場のお客さんから爆笑を買いその後は騒がれる事なく
終息して行きましたね。

 

引用元【ツイッター(halumegu)】

 

あまりにも「破天荒」な行動を取ったことで「天罰」を受けたのか2018年9月に初期の
「肺がん」を発症し事務所の公式サイトで発表していました。

しかしこの時は「初期」であり速やかに治療を行ったことで入院後、一週間足らずで退院し
直ぐに復帰していました。

当時は既に60歳を超えていましたので、あまりにも早過ぎる回復ぶりに驚かされ、さらに
直ぐに番組出演していたので、さすが「不倫」するだけの若さと元気があるんだな!と感心?
させられたものです。

60歳過ぎても「見た目」は若いままですからね・・・と思っていたのですがこの度、
頭に「腫瘍」を発症したようで、しばらく仕事を休み治療に専念するようです。

早く元気になり笑点の大喜利に復帰し、また春風亭昇太氏との「司会争い」、あるいは
「新婚イジリ」が見れる日を心から楽しみにお待ちしております。

どうぞお大事に♪

 

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◇ 三遊亭円楽師匠の学歴は?

 

三遊亭円楽師匠は、東京都墨田区出身の69歳(2019年)です。

地元、墨田区立外手小学校から墨田区立両国中学校へと進み学問やスポーツに精を出しつつ
ラジオで「落語」を聴いて楽しんでいたそうです。

特に中学の頃は「柔道や剣道」等の武道を学び、さらに昔から運動神経が良かったことから
「バレーボール部」にも所属していたそうです。

高校は東京都江東区にある「東京都立深川高等学校」に入学し、父親が警視庁の「警察官」で
あったことから「規律に厳しい」家庭環境であったらしく、それに反発し「学生運動」に
参加するようになったそうです。

「反抗期」真っただ中であったのでしょう。

学校では中学時代に行っていたバレーボールを続けていたらしく、深川高校のバレーボール部に
入部し「主力選手」として活躍していたそうです。

卒業が近づいた高3の時には「公務員」を目指すため「地方公務員」の試験を受けたらしく
見事合格したことで就職活動の幅を広めていたそうです。

その後「就職」か「進学」か?の選択が責められた時に、自宅が経済的に苦しかった事情もあり
「進学」の道を諦めたらしく、記念として1校だけ受験したところ見事合格し急遽、進学へと
変更したそうです。

その学校とは東京都渋谷区にある「青山学院大学」であり、現在は「箱根駅伝優勝校」として
超有名ですよね!

しかも合格した学部は「法学部」だったらしく、真面目に勉強し卒業すれば「地方公務員」
あるいは「法律家」への道も夢ではなかったようです。

大学に通っていた際、学内に「落語研究会」があることを知り、昔から落語はラジオで聴き
「興味」を持っていたことから、その会に参加するようになったそうです。

大学へは自宅が「経済的」に苦しい事情を理解しての入学だった為「学費に困り」勉強しながら
工事現場やホテルなど、様々な分野の職でアルバイトをし学費の足しにしていたそうです。

そんな中、大学三年生の時に落語家の「カバン持ち」のアルバイトを見つけ、興味があった
「落語」に従ずることができるとして、その仕事を引き受けたそうです。

その落語家と言うのが5代目「三遊亭圓楽」師匠だったそうで、それがきっかけとなり
「落語界の門」を叩いたそうです。

その後、落語の勉強をしつつ大学も無事に卒業し本格的に「落語」に慢心するようになり
今に至っております。

 

 

■ 三遊亭円楽プロフィール

本名
會 泰通
読み
あい やすみち
生年月日
1950年2月8日
仕事
落語家
出身地
東京都墨田区
所属事務所
円楽一門
血液型
A型

 

 

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大木温之食道癌でTHEピーズ活動休止!ブログで発表!一人ピーズとは?

 

最近、芸能人が「病気」で活動を中止するケースが増えておりますが、また一人音楽活動を
休止するアーティストが出てしまいました。

それが3人組バンド「THEピーズ」でボーカル・ベースを担当している「大木温之」氏です。

 

引用元【ツイッター(たまぶくロカビリー倶楽部)】

 

「Theピーズ」は1987年に結成されたロックバンドで、メインボーカルでベース担当の
「大木温之」氏が主に作詞・作曲を手がけ、当時の「ロックブーム」の最先端を走っていた
ライブバンドです。

「大木温之」氏の呼びかけにより現在のギターリスト「安孫子義一」氏とドラマ―「後藤
升宏」氏の三人組でバンドが結成されその後、数名のメンバーが入れ代わり立ち代わり
しながら、ドラム「佐藤シンイチロウ」で定着し現在の三人組で落ち着きました。

「大木温之」氏はロッカー魂の強い男ですが、実家の両親は「教育者」で厳しい「しつけ」の
家に生まれました。

その証拠に最終学歴は大学(駒沢大学)卒ですし、意外にも「調理師免許」を取得しています。

ギターリストの「安孫子義一」氏も早稲田大学を卒業しており「Theピーズ」はロックバンドで
ありながら「高学歴」のメンバーが揃っているバンドのようです。

ちなみに、現在ドラムを任されている「佐藤シンイチロウ」氏も「駒澤大学卒」です。

バンド結成後30年以上もたち「ベテランの域」に入っているロックバンドですが歴史が
深い分「様々」な事がありました。

1989年に念願の「CDデビュー」を果たしたと思ったら同年の年末にドラムを担当していた
「後藤升宏」が突然バンドを脱退し、活動が休止になりました。

この「ドラム脱退」が後にこのバンドの大きな「致命点」となり、しばらくの間バンド
「Theピーズ」が奏でようとしている楽曲の「方向性」が見えない期間が続いて行きます。

問題の「ドラマー」が定着しないまま「サポートドラム」でメンバーを賄い、1996年に
ギターの「安孫子義一」氏が自身の「結婚」によりバンドから去ることになり、翌年の
1997年にアルバムをリリースし、それを引っ提げてのツアー終了と同時にバンドの活動を
休止しました。

その時は「大木・安孫子」のコンビがあっての「Theピーズ」として知られていたので、
「安孫子」の脱退時には、いよいよ「Theピーズ」の解散か?と騒がれたものです。

さらに有名な話として、この休止の間ボーカルの「大木温之」氏は自身が取得している
「調理師免許」を糧に「居酒屋」に勤務していることがファン達の間で知られると「いよいよ
真面目に働きだしたか!」等と呟かれるようになり、それも「Theピーズ」の解散と噂された
要因でもありました。

その後2002年に開催された「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002」への出演が決まるとドラムに
「佐藤シンイチロウ」氏を迎え本格的に「バンド活動」を再開しました。

その後も精力的に三人組「Theピーズ」として活動し、2007年のバンド結成20周年記念に
「渋谷アックス」で行ったライブには昔からの親友で当時「麻雀・草野球」を共に楽しんでいた
友人の「奥田民生」氏や「真鍋吉明」氏、さらにYO-KING氏トータス松本氏等をゲストに迎え
大いに盛り上がっていました。

ようやく3人体制で安定してきた2011年頃から、やはりこのバンドで「致命点」となる
ドラム「佐藤シンイチロウ」が、抱えている他のバンドが忙しいとのことで三人集まるのが
難しくなり、大木氏による「1人ピーズ」、安孫子氏との「2人ピーズ」等とファン達から
呼ばれるようになった「スタイルでのバンド形式」で演奏するようになっていました。

ただ大木氏も安孫子氏も、今のバンドスタイルが気に入っていたのか?ドラム「佐藤」氏が
離れることがあっても「Theピーズ」を解散することなく続けていました。

その後「Theピーズ」30周年を迎え、記念ライブとして「日本武道館」でイベントを
開催すると発表し、2017年6月に30周年記念ライブを決行しました。

 

 

ライブは「満員御礼」で大成功を果たし、メンバーも「燃え尽きたのか」その後は何事もなく
今に至っていました。

しかし今回「大木温之」氏が自身のブログで「癌」であることを告げ「Theピーズ」の活動も
しばらく休止することを発表しました。

ただファン達からは武道館記念ライブ後、何も活動していないように思われていたので、実質
2年近く活動休止状態と同じであり、その延長に過ぎない・・・等と手厳しいお言葉を述べる
ファンもいます。

そんな中での大木氏の「食道癌」発表を受け「追い打ち」を食らったように思うファン達が
多数おり「心配」と同時に「残念」と悲しんでいる方もいるようです。

「大木温之」氏の告知によると↓↓↓

突然の報告になります。自分ここのところ、あちこち体調不良、風邪かトシかなと、ダマしダマしやってきましたが、この度、腸カメラ胃カメラ検査の流れから、食道にガンが見つかり、入院手術となりました。胸の辺りバッサリやってもらいます。まだ早い段階でよかったとの事なので、お医者さんを信じお任せするのみ。術後しばらく、ライブ現場復帰は来年あたりになりそうで、当面スケジュール白紙、キャンセル沢山で、本当に申し訳ないです、無念す。報告ギリギリ、バタバタごめんなさい。まだこれから、バンド周り、今後のやり取り、落ち着き次第、状況伝えていけたらと思います。では、やれるだけやってきます。また

引用元【ブログ(たまぶくロカビリー風呂愚)】

 

以前から体調を崩していたことや内臓検査での発見、さらに早期であったこと、ライブ復帰は
来年あたりであること等が伝えられています。

この文を読む限り、さらに報告された病状によると当分「死ぬ事」はないでしょう!

一安心です。早く良くなって一刻も早くバンド再開することを願っております。

 

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◇ 大木温之氏の一人ピーズとは?

 

基本「Theピーズ」は三人組ロックバンドです。

しかし2011年頃からドラムを担当している「佐藤シンイチロウ」氏が本メンバーとして
活動しているバンド「the pillows」での活動が忙しくなり「Theピーズ」に参加できないで
いた時期に大木温之氏と安孫子義一氏が行っていた「ソロ、あるいは二人組」で
演奏していた「スタイル」をファン達が例えて「一人ピーズ」とか「二人ピーズ」等と
呼んでいたバンドのことです。

当時はそれでも「Theピーズ」の違う「楽しみ方」として人気がありました。

その「スタイル」は今でも続いていたようで、大成功した30周年記念ライブの後に大木氏が
「ソロ」活動を続けていたそうで、アコースティックギターで「弾き語り」を行ったり
他のバンドのサポートベーシストとして参加し、ファンと交流を行っているそうです。

ただ「Theピーズ」ファンとしては「物足りなさ」を感じているらしく、早期の復帰を求める
声が多数寄せられておりましたが、この度大木氏の「癌」発覚のため、また復帰が伸びて
しまったようです。

誠に残念です。

 

 

■ 大木温之プロフィール

本名
大木温之
読み
おおき はるゆき
生年月日
1965年12月14日
仕事
ボーカリスト・ベーシスト
出身地
千葉県成田市
レーベル
たまぶくロカビリー倶楽部
血液型
O型

 

 

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