宮川典子衆議院議員 乳がんで死去!交通事故で入院とは?ご結婚歴は?

 

自由民主党の衆議院議員「宮川典子(女性)」が2019年9月12日「20時25分」に東京
都内の病院で「乳がん」のためお亡くなりになったことが分かりました。

享年40歳という若さでの訃報です。

 

引用元【ツイッター(産経ニュース)】

 

今後の日程(葬儀・告別式)などについては、まだお亡くなりになったばかりなので、今の所
「未定」と発表されてはおりますが、地元「山梨県」にお帰りになってから営まれるのでは?と
予想されます。

宮川典子さんはまさに!日本の「絵に書いたお母さん」的存在で、特に「女性問題」に関しては
積極的に取り組んだ議員さんで「女性の政治進出」を推進したり、「男女共同参画推進法」では
党の成立に大きく尽力したりしてご活躍されておられました。

また現在(2019年)の総理「安倍晋三」氏と同じ様に「保守派」のイメージが強い議員で、
皇室典範改正による「女性天皇」の反対、原発を推進、安全保障関連法を支持、受動喫煙対策や
健康増進法改正を推進など、現政権を支持する自民党議員としてご活躍もされました。

なので自民党とすれば「貴重な議員」を失ってしまい、更に地元「山梨県」にとっても自民党
議員の定数が1減ったことは大きな「衝撃」となっていることでしょう。

まだお若いのに、本当に残念な政治家を一人失ってしまいました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

宮川典子さんは1979年生まれの40歳(2019年)で山梨県山梨市のご出身です。

本当に「地元愛」の大きな女性だったらしく学生時代の「義務教育」は全て「山梨県」にある
学校で終えられ、高校も山梨県甲府市にある「山梨学院中学高等学校」をご卒業されて
おられます。

その後2002年に上京し、東京都港区にある「慶應義塾大学」に進まれ「文学部人間
関係学科」をご卒業されておられました。

大学ご卒業後は地元「山梨県」に帰郷し、自身の母校であります「山梨学院大学附属中学
高等学校」へ「英語教師」として勤務されましたが2007年に学校を「退職」し、その後
神奈川県茅ヶ崎市にある「故」松下幸之助氏が設立した公益財団法人「松下政経塾」へ
入塾されました。

最近の松下政経塾への「入塾試験」では「筆記試験&面接」の他に「TOEIC」も取り入れており
「語学試験」等もあるそうなので「英語教師」としてご活躍されていた宮川典子さんにとっては
「得意分野」の項目であり、入塾の際に大きく役立ったことでしょう。

入塾後は政治活動や研究に真面目に取り組み「政治家」として好評を受けていたそうで、また
当時は世論感で「女性議員を推進」する動きも強かったことから自民党より山梨県参議院選挙区
第二支部長に就任されたそうです。

その後2010年に「松下政経塾」をご卒業され、同年に行われた「第22回参議院議員通常
選挙」に自民党公認候補として立候補したものの、対戦馬の民主党候補に4,000票弱で敗れ、
「初落選」を経験しました。

この時敗れた民主党候補とは現大物政治家の「輿石東」氏で衆議院議員&参議院銀&国土交通省
委員長&民主党国会対策院長、等など歴任されていたベテラン議員で対戦する前から「勝利は
難しい」と伝えられておりました。

それでも果敢なく戦いましたが、やはり前説通り「大差(4,000票弱)」で敗れてしまいました。

ただご本人(元宮川典子議員)にとっては非常に良い経験ができたと思うし、何よりも山梨県民に
対し「人気&知名度」を広げる意味では非常に役立った選挙になったはずです。

敗戦後は自民党の指示の元「参議院議員から衆議院議員」へと変えられ、自民党の「山梨県
第1選挙区支部長」に就任しました。

その後「自民党員」として山梨県連自民党本部と連携して活動を行い大きく貢献し2012年に
行われた第46回衆議院議員総選挙で山梨1区から出馬し見事、対戦馬の日本維新の会議員
「小沢鋭仁」候補を破り「初当選」を飾りました。

晴れて国会議員になってからは自民党でご活躍され「権力」も少しずつ得ながら党内からも
「信用」される議員と呼ばれる程に成長していたそうです。

それを証拠得た出来事が2014年に起こり第47回衆議院議員総選挙山梨1区の「小選挙区」から
立候補したものの民主党公認候補に敗れ「落選」しましたが自民党比例区で上位に推薦されて
いたことから見事!「復活当選」を果たしました。

順調に自民党員として政治活動を「慢心」していた2017年の「第3次安部内閣改造」の際
総理より「文部科学大臣政務官」が任命され、それを承諾し就任の運びとなりました。

そのため、更に「自民党員」として、あるいは「内閣」からの信頼や支持が大きくなり、2017年
ご自身3期目となる第48回衆議院議員総選挙が行われましたが、この時初となる自民党単独
候補で「1位」に推薦され立候補し、見事!比例「南関東ブロック」で当選を果たしました。

更に政治家として、あるいは自民党員として力を付け「政治活動」を盛り上げておられましたが
2019年4月に東京都内で「交通事故」に遭遇したそうで「一か月」の入院生活を送ります。

交通事故とは都内でタクシーから降りた際、後ろから来た車と衝突し頭を路面に強打したそうで
救急車で都内の病院に救急搬送され診断した結果「脳に異常が見られた」との事で直ぐに
入院する事となったそうです。

関係者によると「退院」はしたものの今だに「腰痛」が残っていたらしく、ちゃんと全身治療を
受けてから退院して欲しかった!と悔やまれていたそうです。

何故ならこの時、次期衆院選で山梨1区から同党員議員「中谷真一氏」氏とで、どちらが自民党
支部長に就任するか?争点となっていたことから宮川典子さんを推していた議員から健康状態を
危惧する声が上がっていたからのようです。

しかし政治家として周りの大きな「期待」を受けながらも本年9月に「乳がん」のため、
「帰らぬ人」へとなってしまいました。

 

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◇ 宮川典子さんのご結婚歴とは?

 

宮川典子さんは40歳まで政治家として「満身創痍」で頑張って来ました。

大学ご卒業後、一度は「教師」として学校の生徒達のために尽力しご活躍されましたが、
その後「松下政経塾」の門を叩き、入塾し「政治」について沢山の勉強とご経験を
なされたと思います。

なので「休むことなく」政治家としてご出身の「山梨県」のため、あるいは国民(特に女性)の
ために夢中で頑張って来たので、残念ながら現在まで「ご結婚」は果たしておらないようです。

もちろん年齢的にご結婚されていてもおかしくないのですが、上記したように「政治家一本」で
人生をかけてきた女性のため、ご結婚の「タイミング」を逃し続けているのでしょう!

今や山梨県を代表する政治家として知名度が高く、自民党内でも「大臣政務官」を歴任された
人物なので「知らぬものが居らない」政治家となっているはずです。

なので「お見合い」の機会もあったと推測できるのですが「ご縁に恵まれなかったのか?」
今だに未婚者のようです。

またご自身が運営管理されておられたSNS(FaceBook)の記事内にも「独身」の文字が綴られて
いたので「未婚」であることは間違いないと思います。

これから更に大物政治家としてご活躍されたはずで、ご自身の「幸せ」もこれから手にれる
チャンスが増えて行くはずだったのに、この度の訃報で全て失い本当に残念なことです。

 

引用元【ツイッター(TAKUYA??高校生)】

 

 

■ 宮川典子プロフィール

本名
宮川典子
読み
みやがわ のりこ
生年月日
2019年9月12日
仕事
政治家
出身地
山梨県山梨市
所属事務所
自由民主党
血液型
—型

 

 

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園田小波さん乳がんで死去!結婚や年齢は?チョコミミ未完で連載終了!

 

「少女漫画家」で代表作「チョコミミ」が有名だった漫画家の「園田小波」さんが2019年
8月4日に「乳がん」の為、死去されたことが分かりました。

享年42歳でした。

あまりにもお若い年齢での死去で非常に悔やまられるところです。

 

 

一方は日本漫画界でも超有名な「集英社」が公開している公式サイト「りぼん」で発表され、
死去されてから数日が経っていたにも関わらず、発表が数日後になったことに戸惑いを
覚えるファン達がたくさんいながらも「悲痛の声」が多数寄せられているようです。


引用元【サイト(りぼん)】

 

お亡くなりになられた原因が「乳がん」とのことですが、何故近年医療技術の発展により
「乳がん」での死亡率が改善されているのにも関わらず「乳がん」が原因で旅立たれたか?
非常に疑問に感じたのは私だけでしょうか?

ただ現在発売中の「りぼん」9月号では「体調不良」のため休載していたらしく、以前より
体調が悪く入院あるいは通院しながら療養中だったと推測されます。

園田小波先生は1995年の年初めに大手漫画会社「集英社」が発行している漫画雑誌
「りぼん」の「早春のびっくり大増刊号」へ掲載された「ハイテンション・アワー」が
デビュー作で、デビュー作にも関わらず同社が行っている「第302回りぼんNEW漫画
スクール努力賞」を見事受賞し輝かしい漫画作家デビューを果たしました。

「りぼん」は少女漫画向け雑誌だったので、女児から人気があり男性の私はあまり読む機会が
なかったのですが「りぼん」という名の雑誌は知っていたので、それだけ子供達に人気を
博していた漫画雑誌と言えますし、相当なファンがたくさんいたはずです。

とりわけ園田小波先生の代表作でもある「チョコミミ」は2003年頃から連載されたと
記憶しておりますが、あまりの人気ぶりにテレビドラマ化されたことで有名です。

 

 

この「チョコミミ」は少女達の「友情&恋愛」にスポットを置き、お洒落なストーリー展開で
若い少女ファン達の心を鷲掴みにしていたものです。

なので体調復帰後の連載、あるいは新作に期待するファン達がたくさんいたにも関わらず、
今回の「訃報」が伝えられ悲しむ・・・いや悔やむファンや関係者が多数おります。

まして42歳の若さでこの世を後にされたのですから、尚更「悲痛の声」が伝えられているのは
最もの話です。

本当に心よりお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。

 

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◇ 園田小波さんのご結婚歴は?

 

園田小波先生の詳細については明らかにされておりませんので、ご結婚歴やお子さんの存在等
全く分かっておりませんが、唯一ご自身が行っていた公式ツイッターに掲載されたコメントに
「お子さん」らしき記事文があったことが分かりました。

 

引用元【ツイッター(園田小波)】

 

たぶんご自身で作られた「エプロン」をお子さんらしき女児に着せた記事だとは思いますが
ご自身の「お子さん」か?どうか?の正確なことは分かっていません。

ただ、かなり素敵な「エプロン」を作られたことは明らかで、相当な裁縫センスもお持ちだった
ことが分かりますよね♪

この記事がアップされたのが「2015年4月17日」で「4年前」の記事です。

このお子さんの年齢を予想すると、だいたい5~7歳くらいと思われることから、もし本当に
ご自身のお子さんなら園田小波先生が「30代」頃に授かった子であることが分かります。

もちろん「旦那」さんの存在が明らかにされておりませんのでご結婚時期について推測するのは
非常に難しいですが、もしご自身のお子さんであるなら「ご結婚」を果たしていた可能性が高く、
「既婚者」であったと容易に想像がつきます。

最低限「女性」としての幸せは手に入れていた可能性が高かった事は、唯一残されたファンや
関係者が安心させられた事でしょう、

 

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◇ チョコミミはどうなる?

 

園田小波先生の代表作「チョコミミ」ですが、お亡くなりになる前からご自身の体調不良で
「休載」されていたこともあり、今後の連載も「未完」のまま終了となるそうです。

非常に悔いが残る結果であり、悲しい完結を迎えることが非常に残念なことです。

しかし「代替者」が行って続けて行くよりかは「作者」不在による未完で終えることは
ある意味ファンにとっては園田小波先生を忘れないためにも良い結果なのかも知れないです。

最後にこの度の訃報へ対するファンからのコメントをご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 園田小波プロフィール

本名
園田小波
読み
そのだ こなみ
生年月日
1977年5月3日
仕事
少女漫画家
出身地
兵庫県
所属事務所
血液型
AB型

 

 

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