スキージャンプ金野昭次氏死去!元日の丸飛行隊!下咽頭がんが原因?

 

1972年(昭和47年)開催の札幌冬季五輪で「スキージャンパー」としてご活躍された
「金野昭次」氏が2019年9月5日に道内病院(札幌市)で「下咽頭がん」のため
お亡くなりになられた事が分かりました。

享年75歳でした。

 

引用元【ツイッター(Yahoo!ニュース)】

 

金野昭次氏は生まれも育ちも「北海道(札幌市)」で幼い頃から「雪」と一緒の生活を送って
おりました。

そのため小学校3年生の頃からスキージャンプを始め、若い頃からスキージャンプ一筋の
生活を送っていたそうです。

地元の小学・中学をご卒業後、北海道札幌市豊平区にある「北海高等学校(男子校)」へと進み、
青春時代を送っていたそうです。

この高校からご卒業された著名人は何人もいるそうで俳優の「千秋実」氏、落語家「三笑亭
夢之助」氏、お笑いコンビ(タカトシ)のタカ(鈴木崇大)氏、女優「二階堂瞳子さん&
中川梨花さん」などの芸能人、更にスポーツ選手・政治か・経済学者など層々たる人物が
ご卒業されておられいます。

その中で「金野昭次」氏も元冬季五輪選手で「北海道冬季オリンピック」ではスキーキャンプ
70m級で金メダルを獲得し「日の丸飛行隊」と呼ばれるようになって国民から広く
親しまれていた名選手でした。

北海高等学校をご卒業後は上京し、東京千代田区にある「日本大学」へご入学し同学校の
「スキー部」に入部し、出身地が同じ「北海道」でスキー指導者では評判が高かった「八木
祐四郎」氏のもとで、スキーキャンプの指導を受けていたそうです。

八木祐四郎氏のもとで期待挙げられたジャンパーは直ぐに頭角を現し、1968年に開催された
「グルノーブルオリンピック」のス―ジャンプで日本代表に抜擢されました。

自身初の「五輪出場」でもあったことから緊張したのか?得意の「70m」級では成果を
収めれず24位、更に90m級にも出場しましたが20位で終えました。

その後「五輪選手」としての自覚を持ち毎日の鍛錬に磨きをかけて来た1972年!
地元日本で開催された「北海道オリンピック」にて得意の70mでは「銀メダル」を獲得し
また同級で出場していた日本選手の「笠谷幸生」氏が金メダル、「青地清二」氏が銅メダルを
獲得し、表彰台を日本人ジャンパーで埋め尽くしました。

その姿を見たメディアの担当者から「日の丸飛行隊」等と呼ばれると、そのニックネームは
直ぐに国民に馴染み、広く親しまれるようになったと同時に50代世以上の人々の記憶には
今でもその「チーム名」が残っているはずです。

またチーム内での戦いの際は毎回「先頭ジャンパー」であったことから「日本の切り込み隊長」
等と呼ばれ、会場に詰めかけていたスキージャンプファンやお茶の間から注目される選手でも
ありました。

その後1976年に開催された「インスブルックオリンピック」でもスキージャンパーとして
日本代表に抜擢されましたが、得意の70m級や90m級の出場に至らなかったそうです。

その後、スキージャンプファンから惜しまれつつも「現役を引退し」銀行の営業マンとして
新たな人生をスタートさせたそうです。

サラリーマンで働いていた1998年に、地元日本で開催された「長野オリンピック」では
「聖火リレー」のランナーに選ばれ、地元札幌市をスタートし東日本ルートの架け橋を行った
そうです。

その後についてはあまりよく分かっておりませんが、地元北海道札幌市で生活をしていたそうで、
昨年(2018年)から体調不良のため病院通いを行っていたところ「がん」が見つかったそうで
闘病の日々をおくっていたそうですがこの度「下咽頭がん」によって帰らぬ人と旅立って
しまいました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

■ 金野昭次プロフィール

本名
金野昭次
読み
こんの あきつぐ
生年月日
1944年9月1日
仕事
元スキージャンパー
出身地
北海道札幌市
所属事務所
血液型
—型

 

 

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