長谷川龍生 詩集パウロウの鶴著者 肺炎で死去!元日本現代詩人会会長!

 

詩集「パウロウの鶴」の著者で日本現代詩人会会長を務めていた詩人の「長谷川龍生」氏が
2019年8月20日に「肺炎」のためお亡くなりになられたことが分かりました。

享年91歳でした。

 

 

お亡くなりになられた場所は「東京都内の病院」のようで、葬儀・告別式などは近親者で
行う予定で「お別れの会」などの有無は分かっておりません。

葬儀の喪主は長男の「名谷文朝(なたに ふみとも)」氏が行う予定。

長谷川龍生先生は1928年(昭和3年)6月生まれの91歳(2019年)でした。

代表作は1957年(昭和32年)ご自身29歳に書作した「パウロウの鶴」で、この詩集が
ご自身初となる第一詩集として「青土社」から刊行されている月刊誌に収録されたことで
詩人「長谷川龍生」氏の名が世に広まって行きました。

当時の日本は共産主義が強く「民意」が通じない「強引政治」であったことから、国民達らは
不安と憤りが渦巻いていた時代でしたが、長谷川龍生先生が世に送り出した「誌」によって
癒された国民が多数居たと聞いております。

長谷川龍生先生の誌の特徴は「長編詩」であることが多く、誌の愛好家から「飽きない誌」で
有名で更に誌の中には「殺意や狂気」が感じられる独特のイメージを受けることで誌ファンから
注目されておりました。

またご自身初の詩集「パウロウの鶴」では広告代理店大手の「株式会社電通」に評価され、
詩人以外の仕事として同社の「専属コピーライター」としてもご活躍されておりました。

そのライディング技術では画一的才能を発揮し「広告企画部長」などを歴任し幅広く活動されて
いたそうです。

その後1970年頃には大阪で開催された「大阪万博」で外国人の「ゲストコーディネータ」を
勤め、イベントの成功に貢献したそうです。

ご自身40歳を超えた頃から「外国」へ出向くようになり「武者修行」の意味があったのか?は
分かりませんが、アメリカやヨーロッパ・中東などを訪れ、各国民と出会いその土地の文化や
国民性などに触れて自身の誌の「世界観」を大きく広めていたそうです。

特にフランスで出会った女性をモデルにして書いたという1980年「青土社」からの出版集
「バルバラの夏」では今までに見たことのない長谷川龍生先生の誌の世界観を見せ「人間性
溢れる」作品を世に送り新たな一面を見せてくれたそうです。

またご自身の「怪奇体験」経験を元にして作られた「椎名町(ラルゴ)魔館に舞う」は詩人界では
超有名作品として知られているそうです。

その後も「誌」の世界でご活躍され「日本現代詩人会」の会長を歴任されたり、大阪文学学校の
「校長」も務めたりして、日本人詩人の発展と貢献に勤められておられました。

しかし2019年8月に「肺炎」によってこの世を去られました。

「肺炎」の原因など詳しくは分かっておりませんが、ご年齢が90歳を超えており死場所が都内
病院だったことから、ご入院されていたと思われ「風邪」等が要因となって「肺炎」を起こした
可能性が高いと思われいます。

ご高齢での「肺炎」者の姿を見ていると非常に「苦姿」をよく見にするので、先生が安らかに
旅立たれたとは思えない節があるので「苦痛」ではなかったことを願うばかりです。

先生が残してくれた「遺産」は、きっと今後の日本詩人界に受け伝えられて行くと思うので、
どうぞ安らかにご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

■ 長谷川龍生プロフィール

本名
名谷 龍生
読み
なたに たつお
生年月日
1928年6月19日
仕事
詩人
出身地
大阪府大阪市
所属事務所
元日本現代詩人会会長
血液型
—型

 

 

スポンサードリンク